私自身今回の大会はまったくもってノーマークだったのですが、ニュースブログサイトのGIGAZINEさんがその模様を文章に起こしていましたので後日確認することが出来ました。
この記事は、その講演に対する個人的な感想を述べていきたいと思います。
まず、奥山氏についてはこちら
Wikipedia
個人HP
KEN OKUYAMA DESIGN
フェラーリやマセラティのデザインでカーデザイナーとして世界的に有名ですが、他にも家具や電車等々様々なDesignをされています。
GIGAZINEさんの記事「いつ来るか分からない15分のために常に準備をしているのがプロ、デザイナー奥山清行による「ムーンショット」デザイン幸福論」
では、本文の一部を引用しつつやっていきます。
日本とイタリアを比較して、面白いことに気がつきました。皆さんこれを読まれて、個人力の日本、団体力のイタリアというタイトルを見ると、「逆じゃないの?」「個人力のイタリアで団体力の日本じゃないの?」と思うかもしれませんけれど、イタリアというのは実は全く逆でして、イタリアというのは実はご存じのようにワールドカップとか、それからいろんな、例えばフェラーリのようなブランド企業をゼロから作り上げたりとか、その陰にある力というのは実はローマ時代から伝わる、いわゆる民主主義の元を作った彼らの団体力なのです。イタリア人の個人個人も非常に個性のある人たちが多いですけれども、その何というか、味が強い野菜が集まってもっと面白い料理ができるように、イタリアは非常にその団体で行動をするというのが僕が想像していたよりもはるかに得意でした。
Designという非常に創造的な分野においては個々人の考えが重要になってきます。そうした面では、日本人のような超協調的姿勢は時として障害にも成り得ます。クリエイティブな人が集まることで、各々がよりクリエイティブになるといった研究結果もあります。そういった点でイタリアのほうがデザイン的な環境、土壌がしっかりしているといえるかもしれません。
面白いのは、開発を始める前に「うちは399台しか作りません」と言ったら、その10倍以上の3000人以上の人たちがこのフェラーリに対して「この車を買いたい」というふうにデポジット(前払いの保証金のようなもの)を持っていらっしゃって、その中で会社が人を選んで、その399人のラッキーな人たちは7500万円の現金を持って、イタリアまで飛んでこの車を引き取りに行くわけです。高飛車ですよね。高飛車ですけれども、それをすることによって「フェラーリ」というブランド力は上がって、フェラーリっていう世界観の中にもっと入りたい人たちがボンボン増えていく、と。日本は逆のことをやるじゃないですか。6000万で売ったら500台売れるんじゃないかなあとか、5000万で売ったら1000台売れるんじゃないかな、と。それをやっちゃうから未来の芽をつぶしちゃうんです。ブランドの力を落としちゃうんです。学ぶべきところっていうのは大いにあると思いました。それを成し遂げているのがフェラーリっていうチーム、わずか3000人のチームでして、3000人のうち600人がF1という部門に従事しています。ですから残りのなんと2400人で年間8000台の車を開発して、生産するまで全部入れて2400人です。僕は大変なことだと考えます。
DesignはあくまでBusinessです。本質的に最高のDesign・Productを前提としてそこに価値を見出すのは至極当然のことで、それをブランドとして価値を向上させていくというのは戦略的であります。価格が上昇すればConsumerの幅が限られるということになりますが、ブランド価値がそれを維持し続けるためにはある程度Consumerに対する圧力をかけていかないといけないと私は思います。例えば、自動車なんかは安価なものを求めれば日本車を買えばいいというだけの話で、フェラーリやマセラティといった高級車として地位を築いているところは、はじめからそういった視点で動いていたということです。
もちろんProductの本質は見抜かねばならず、日用品がべらぼうに高いところで誰も見向きもしないでしょう。
非常に面白かったのはその中で、日本人ほど哲学とか倫理観とか教育レベルとかそういったことの個人の力が高い国というのは、僕は今まで経験したことがなかったのです。ところが、そういう人たちを5人以上集めると、幼稚園みたいなもんでまるでまとまらない。イタリアの方がよっぽどまとまる、アメリカの方がよっぽどまとまるという現実に気がつきまして、ひょっとして日本って団体力ないんじゃないの?っていうことになり、僕の今までの仮説が逆転しました。皆さん何となく思い当たる節があるんじゃないかと。飲み屋に行くとすごいこと言うんです。仕事終わるとすごいこと言うんです。仕事の最中は黙って何も言わないですね。黙って何も言わないくせに何も考えてないかっていうと、当てると皆さんすばらしいこと言うんです。僕はそれは卑怯だと思いまして、自分が考えていることを、その場で決められた時間の中で他の人とシェアしないのはプロとして犯罪に近いと考えています。イタリアでそれをやると二度と会議に呼ばれません。ところが日本はそれをやって、黙っている方が会議に呼ばれるという、これは悪しき慣習だと思います。
面白いのは日本の議論の仕方っていうのが、何かと個人攻撃になってしまうこと。これは日本の言葉の作りっていうものがどうしても目上とか目下とか、男性とか女性とか、自分の相手に対する相対的な位置を示す感情を表す言葉があるのに対して、英語とかイタリア語っていうのは非常に少ない言葉で情報の内容を的確に相手に伝える言語の作りなんです。だから、誰が何を言うかってことは重要なじゃなくて、その話の内容の方が重要だって順序になってる。だから日本語で、実は個人攻撃にならない議論の仕方というのは非常に高度な議論力が要るというふうに思います。僕はこれを小学校で教えられなかったので、社会人になって必死の思いでイタリアで勉強しました、議論の仕方というのを。この「議論の仕方」をひとつの技術として、僕らは学ばなくちゃいけないんだなってつくづく思いました。
アイデアはシェアしてこそ活きるものだというのも一般的に、また科学的に言われています。そういった点で日本人的な面というのは非効率的だと思います。
インターネットやソーシャルメディアの発達による昨今の社会において、ネットーワークを活用したBusinessが成功している点にはインターネットの普遍性が起因していると考えます。ネット上では目上や目下などは殆ど無視され、純粋に「論」が飛び交います。(個人のレベルにおいて) また、発言のしやすさも相まってクリエイティブな環境ガセ率しやすいのではないでしょうか。
いわゆる会社という組織というのは、実は産業革命が起こってできたもので、それ以前っていうのは人類の99%は家で仕事をしていたらしいです。ところが産業革命が起こって、紙が印刷されて、いろんなエネルギーができて、みんなでひとつのビジネスを行おうっていうふうになりました。それが会社っていう形になって、お父さんは家にいるだけじゃなくて、朝には会社に出かけていって、そこで仕事をするという形に変わってきたのは、なんとたかだか150年前。本当の意味での会社という機能が世の中に存在し始めたのはたかだか100年前です。皆さん会社っていうものがこれから永遠に続くと思ってるかもしれませんけれど、今の形での会社という組織というのはもう崩れ始めています。会社の持つ意味というのは実は非常にいろんな意味があって、例えば昔、家でだけ仕事をしていた人というのは24時間の時間のほとんどを家族というコミュニティで、近所のコミュニティの中で過ごしていたわけです。
現在の(日本における)社会や、経済体制、政治に対する批判になりますが、今日まで続いている態勢にはもうかなりの無理がきていると思います。やはり定期的な革命が起こらなければ社会として機能しなくなると思うのです。
個人的に、Social Businessについて勉強しているのですが、そういった思考プロセスが現在の社会体制に影響を与えていく姿勢が重要だと思います。特に、資本主義経済という態勢での金銭価値についてですが、もはやその重要性を次のステップに持ち込まなければならない段階なのではないかと。というのも、お金の時代は終わりつつあるような気がします。もちろん、今後100年は少なくとも貨幣経済でしょうからお金自体を無視することはできないのですが、価値のウェイトがシフトしつつあるということです。そのベクトルの方向は、「人」ではないかと私は思います。Productの設計段階では人間工学的な要素になるかと思いますが、人間の本質的な価値へのアプローチがThemeになるのではないかと思っています。
面白かったのは、日本のルイ・ヴィトンの社長のプラトーさんという方とある講演で、ルイ・ヴィトンのかばんは30万とか50万はしますよね、と話をしてたときのことです。僕はプレゼントでルイ・ヴィトンのかばんを僕自身で買いたくてもなかなか買えないので、安くしてもらえませんか?と大胆な質問をしたら、うちは申し訳ないけどディスカウントはしません、と。ただし、30万円のかばんを買えない人でも同じ素材を使ってうちは5万円の財布を売ってます、財布というカテゴリの中では一番高い商品です、5万円の財布を買えない人には犬の首輪をうちは売ってます、1万円で売ってます、猫の首輪ならもっと安いです、いろんなそのキーホルダーならもっと安いです、と。それぞれのカテゴリでは一番高いものをうちは売っていて、決してディスカウントはしない、と。だけど同じノウハウ、同じ素材を使っていろんな商品展開をしている、だから実はルイ・ヴィトンというのはいわゆるブランド商品ではなくて、ライフスタイル全体を提供しているものだ、と。うちはかばん屋だからかばんしか売らないって言ったら利益は実は大して上がらないし、マーケットに入ってくる人も少ないです。でも同じノウハウでいろんな商品展開をして、全体のライフスタイルを提供しているからうちは健全なんです、ということを聞いて、これは感激しました。
コモディティ商品ってこれは数を売るしかないのかっていうと、ご存じ僕も使っているiPhoneとかですね、スティーブ・ジョブズさんは引退されましたけれど、だけど会社として健全なAppleの商品というのは「プレミアム・ブランド」と言われていまして、これはいわゆるラグジュアリーブランドじゃないんです。プレミアム・ブランドというのは、多少プレミアムを払ってでも買いたいと思う商品で、安くてもいいんです。ただ彼らの特徴というのは、ただハードウェアを売るんじゃなくて、ハードを売る前にインフラを作って、例えばコンピュータに同期して、ミュージックダウンロードシステムを作って、それでiPodから始まっていって、やっとiPhoneを売って、さらにその延長のiPadを作って、さらにその先に何があるのかを見ましょう、という全体の仕組みを売っている。そのデバイスを通して、どういうトータル・エクスペリエンスを提供しているかというのがこのブランドの価値なわけです。ですからデバイスだけ売っても、実は利益率はものによってはそれほど高くありません。ただ、トータルで儲ける。このようにして、いわゆるコモディティ商品がエクスペリエンス・デザインに変わっていくことが非常に重要である、と。言い換えると、ブランド商品はライフスタイルデザインになって、コモディティ商品はエクスペリエンス・デザインになって、初めてビジネスが成立するということです。
ブランド商品の価値については前述しました。トータル・エクスペリエンスという点についてはDesignerとしては考えなければいけない点で、使用状態や使用環境を想定したDesignをしなければならないのです。トータルで最高のパフォーマンスを実現するのです。別問題ですが、それが販売において利益につながれば良いということです。
ただ、精密機器・ガジェット関連では互換性と言った点も考慮しなければならないのが実情です。それを上回る魅力がApple Inc.にはあったということですね。ちなみに、Apple Inc.の設計は人間工学に基づいてされていると言われています。
ニーズ(Needs)というのはよく皆さんプレゼンでも使われるし、よく聞く言葉だと思いますが、ニーズと並んで、あるいはニーズ以上に実は社会を動かしているのは、和製英語なんですけれども、ワンツ(Wants)です。非常に面白いことに、今年の2月に出たカリフォルニアのロングビーチのTEDカンファレンスで、これがビル・ゲイツですね、そしてコーヒーを飲んでいたら隣にアル・ゴアが立ってて、「Hi, Al」とか言って写真撮ったりですね、そんなオープンな雰囲気なんですけれど、そこに入るには非常に厳正な抽選とか審査が必要で、そこでこのワンツに関して非常にいろんな方が議論していたのが特徴的でした。まだ日本ではワンツなんてのはまだ全然聞かないのに、アメリカでは既にそれが常識になっている、と。
トヨタのYaris(ヴィッツで知られるブランドの欧州名)という車は106万円から179万円で、それに対して同じ前輪駆動の4気筒エンジンで性能的には劣るBMWのminiは219万円から440万円です。なんとこちらのトヨタの3倍もするんです。ハード的には劣るものが、劣るものの方が何で3倍もするのか?それは人が求めるものが、左のものと右のものとは根本的に違うわけです。
例えば日本の時計メーカーが必死になって作って1969年に作ったクオーツですね、セイコーが発明したクオーツ時計、あれによって正確な時間の民主化が起こりました。ところがすばらしい偉業を成し遂げた日本のメーカーがどんどん売るために価格ダウンをしていって、挙げ句の果てに電波時計で太陽電池がついてて100年間で2秒しか狂わない時計が3万円で買える時代です。ところが右側のロレックスのデイトナっていうのは僕が買いたくても、これは定価が98万円なのですが、プレミアムが付いて150万円でもものが見つからないです。3日間机の上に置いておくと止まります、この時計は。こっちは100年間で2秒しか狂わないです。何でこっちの方が150万円で、こっちが3万円なのって思うじゃないですか。ところが僕らがなんで機械式の時計を買うか。考えてください。全部機械でできてる、エレキが入ってない時計っていうのは、今土の中に埋めて100年後に掘り起こしたならば、ちゃんと動くんです。機械屋に持って行って、油注ぐだけで、この時計は一生動くんです。人間がものを作っている中で、自分が生きた証をこの世の中に残すためにモノとかコトを作ってる。僕もそうだと思うんです。だから、自分の50年とか80年とかそういう自分の人生を超えて、自分が何を残したのか、自分の人生の前と後に何があるのかってことを考えるのは、これは人間として、これ当然のことなんです。
こっちの時計は実は100年使おうと思っても、電池の形式が変わるし、中の半導体がもたないし、実は4年しかもたないです。100年で2秒しか狂わないって言ってる時計が実は4年しかもたないんです。こちらの時計は振ってさえいれば100年でも200年でも部品を換えながら使うことができる。だからなにか、この時計を最初に買った人がこの世からいなくなっても、この時計はその人たちが生きた証としてこの世に残るんです。なにかすごくロマンを感じるじゃないですか。なんか、日本人の宗教観が、全てのものに神が宿るというのが宗教観であれば、実はものをつくる、ことをつくるというのは、神が宿るほこらを作る、実は非常に貴重な仕事だと思うんです。そういうことを一番よく表しているのが、実はスイス式の機械式の時計だった、と。だから150万円するわけです。高いものはもっとしますよね。これがブランディングです。これがワンツです。これはニーズとは違う「ドライビング・フォース(「企業の未来に対する戦略的ビジョンを決定する最も根本的な因子」を意味する)」です。
ブランディングしていくことで、メーカー自体に価値を持たせることも必要です。メーカーがはっきりと指針を示すことでそれ自体が価値基準になるのです。
本文に沿えば、ニーズは機能的な面で、ワンツは精神的なところでしょうか。ワンツのほうが多少趣がある感じですね。何れにしても「人」という概念が外せません。
これはですね、日本の悪い癖です。例えば100人と1億円があったとします。韓国とかアメリカの企業っていうのはそれを50人ずつふたつのチームに分けて5000万円ずつ与えれば、たいしたことないアイディアでもこれが面白いものになっちゃうんです。そうですよね?50人で5000万あったらば、日本の場合だとものが決められないからまずリサーチしましょうと言って、ひとりずつの100個のアイディアをリサーチしましょう、ということで1つのプロジェクトに100万円与えます。100万円もらってひとりで何しろって言うんですか?これが今の日本です。優れたアイディアが山ほどあっても、それぞれのアイディアが日の目を見ないのは、1人と100万円を与えられても何の仕事ができるんですか、と。ですから、一番最初にうちの会社はこれをやるんだというヴィジョンを抱いて、ものを決めて、それに従って集中投資をするのが今のものの作り方です。分散投資はこれからの時代は絶対に成立しません。
イマジネーションの想像力というのは日本人が優れているからこそ、マーケティング理論が世界で一番発達して、実際にいろんなマーケットリサーチをする会社もたくさんありますし、非常に技術的に発達しています。でも、だからこそ人の気持ちは分かるけれど、自分の気持ちが一番分かっていないのが日本人です。自分が本当に何が欲しいのか、自分の会社が何を作るべきかが一番分かっていないのが典型的な日本の企業であり、日本人なんです。
アイデアのベクトルっていうのは勿論個々人でも、案によっても全く異なります。ですから、ある程度の方向性、まとまりをつくるためにグループとしての単位で考えることは効率の上で重要です。例えばユーザーの意見を募った新しい企画の考案では、ユーザーという単体で考えている段階でベクトルとしては様々です。そこから生まれるアイデアも点でバラバラなわけで、発展しにくいでしょう。一方、グループとして取り組めば、Conceptなどを共有することで表現の目的がある程度共有されます。端的に言えばまとめあげやすいのです。資金投入の点については言うまでもなく、多く投資できるという点で、大きなまとまりでプロジェクトを展開していくことは効率的です。
つくるべきものを理解する点については、当事者であるほど本質が見抜きにくいというのもあるかもしれませんが、少なくとも日本人の価値観としてそれが劣っていることは確かかもしれません。ことに、一般的なデータを根拠に意見を述べるのでしょうが、本質的にはwantsを求めなければならないという点ではマーケティングも味方を変える必要があるのかもしれません。
それまで2年間かけて作ったエンツォ・フェラーリのデザイン、車全体ですね、それがなかなかうまくいかない。10年に一度だからこそ、本当は限定生産で大胆なことをやらなきゃいけないのに、それだからこそ人間はすごく臆病になってつまらないものを作っちゃう、もうその典型だったんです。で、2年間開発をした後、今日この日にモンテゼモロの会長がヘリコプターでやってくる、と。この日に決まらなかったらば、このプロジェクトはキャンセルになるってことで、来ました。でも僕自身、やっぱり何か納得がいかない、それで万が一のために僕は絵を描いていたんです。仕上げまでの時間がなかった。案の定、モンテゼモロさんはヘリコプターが来て、エンジンも止めないでこうやって降りてきて、車を見た途端、ああもうだめだと言ってそのままヘリコプターに乗って帰ろうとしちゃった。これで帰してしまったら、僕らもう二度とフェラーリの仕事ができないですから、さてそれで僕の上司は僕に対して「奥山、15分やるからスタジオ戻って絵を描いてこい、あるだろ例の絵が」ってニタッと笑いまして。僕は走ってスタジオに戻りまして、描きかけてたこの右上の絵を最後に色を塗って紙に貼って仕上げて、それで廊下を走って。スタジオ遠いんです、プレゼンテーションルームから。走って戻って、もうあの、サンドイッチ食べさせろって言ってそれでモンテゼモロの会長を中に収めてたんですけれども、もうサンドイッチ食べ飽きて、外に出てきているところを廊下でこの絵を見せて、そうしたら「なんだおまえらできてんじゃねえか」って。「やりなさいよこれ、来週の水曜ね、見に来るから、車モデル作って仕上げといてね」って、ヘリコプターでバーバーバーって帰って行って、「はあっ」てなった反面、金曜日の夕方ですから水曜日までにこれどうやって作ったらいいのかなってことで必死になって、週末も完徹でみんなで仕事したんですけれども。僕が言いたいのはふたつ。ひとつには、その時この絵を準備してなかったら、僕らはおそらく一生この車の日の目を見ることはなかっただろうし、そのチャンスを生かすこともできなかった。いつ来るか分からない15分のために、常に準備をしているのがプロで、来ないかもしれないからと言って準備をしないのがアマチュア。それだけの違いだと思います。プロとアマチュアというのはそんな小さい違いだと思ってます。そしてもうひとつ、僕の上司は僕がこの絵を描いてたことを知ってたんですね。そういう信頼関係というか、よく周りの人間のことを見ていて、万が一のために誰を使うか、どういう風にその15分を生かせるかということを見ていた僕の上司もすばらしいという風に思います。今でも友達です。
情報のシェアが必要な点ですね。
いけすの中に魚がいて、ずっと泳いでいると活きが悪くなってみんなだんだん死んできて、そこにナマズを1匹入れると、変な魚が来たのでびっくりして、活きがよくなって、死ぬ魚が少なくなるんだそうです。僕はイタリアでナマズでしたし、日本でもナマズなんですけど、何が言いたいかっていうと、ものの本質というのは、実はその中にいる人間っていうのは意外と分かってない。イタリア人はイタリアのデザインの悪かった時期ばかり覚えているので、なかなかイタリアのデザインに対して、実はロマンを持てないんです。僕ら外国人は国を捨てて家族を捨てて、すばらしかった60年代、70年代のイタリアのデザインにあこがれてイタリアに渡った人間ですから、もう何が何でもイタリアにあこがれているんです。そういった人間の方が実はものごとの本質を知っていて、意外とイタリア人よりもイタリア人らしい仕事をするから、僕は外国人としてイタリアのデザイン会社のディレクターを12年間務めたわけです。だから皆さんも、自分は会社に何年もいるからこの会社のことを一番知っている、でもこのゲームを何年も作っているから意外とあなたが一番よく知ってない。意外と他の人の方が分かってることがあるっていうことを理解して、外の人間と自分の能力をよく使い分けていただきたいなと思います。
前述した点ですね。
↓秋田新幹線E6系のDesignをされたことに起因し、電車の話。
中国で事故が起こりましたけれども、こういう電車を使って時速500kmで走るというのは、実は技術的には極めて簡単なんですけれども、それを日本はあえてやらない。今まで数十年間、一度も事故を起こしていない日本の新幹線というのは、ハードウェアだけじゃなくて、そのオペレーションシステム、全てが合わさって初めて実は世界で非常にまれな価値を持つ新幹線というものになります。英語にもなっている「Shinkansen」という全体のシステムに価値があるんです。ところがおかしいのは、後でお見せするアメリカの高速鉄道とか、ブラジルとか中国に売りに行く時に、日本人が一番その価値を分かってなくて、ハードウェアを売り込みに行こうとする。そうすると「うちの機械は時速320km出ますよ」と言っても「悪いけど中国の人は時速400km出てるって言ってるよ」とか。ハードとハードのプレゼンテーションをしてしまうわけです。ところがこれはカリフォルニアの政府の関係者から後で聞いたんですけれども、日本人が電車の売り込みに来てプレゼンテーションしていると、ちょうど……ちょっと危ない発言ですけど、北朝鮮がミサイル売りに来たみたいなもんだと。ハードの話をして性能の話ばかりするけれど、「僕らが求めているのはそんなところじゃない。僕らが求めているのは、これまで日本人が築き上げてきたシステムである。何で一緒に売り込みに来ないの」と。「いや、それはあちらはJRという製造メーカーですから」と言うと「そんなの関係ないだろ」と。「お客さんにとってハードウェアメーカーも、ソフトウェアメーカーも、それが合わさってひとつのシステムなんだから、それをバラバラに分けるのは業界側が勝手でしょ」と。「俺たちにバラバラにプレゼンテーションに来られたって、俺、何言ったらいいんだ。それがあなたたちのエゴだ」と罵倒されました。全くその通りだと思いました。システム全体で初めて意味合いを持つ、それが今ありとあらゆるさっきお見せしたようなものの全てに通じる価値なんだなと思った象徴が、このひとつの新幹線です。
こちらも、自分たち自身が自分のProductをわかっていない例ですね。
これが今走り出している実車でして、僕がもうひとつ非常に感激したのは、今六本木の交差点をフェラーリに乗ってて渋滞で止まっていても、子どもたちは誰も寄ってきてくれません。最近では女の子も寄ってきてくれません。ところが新幹線の先頭車両が東京駅に入ってくると、もう何十人もの、何百人もの子どもたちが、カメラ小僧が、カメラを持って新幹線を撮っている、と。これを見て僕はあのスーパーカーの時代を思い出しまして、これは一体何なのかな、と思ったんです。もちろんもう鳥肌が出るほどうれしかったんですけれども、だけど冷静に考えてみると、後で説明する自動車は、自動車のやるべきインフラ整備という一番大きな宿題をやっていない。だから街の中で全然生き生きとして使われていない。だからそのハードを見ても、いくら時速360km出る、750馬力のフェラーリだと言っても、六本木の交差点で座って、交差点の渋滞の中では、750馬力でアイドリングしていてもあんまり頭よく見えないんです。フェラーリを持っている方すいません。ですけども、フェラーリは箱根に行って、ちゃんと使われる状況に行って、初めてそのハードウェアは生きるんですね。自動車はそのインフラに対して一銭も投資していない。ただ乗りなんです。子どもたちは実はそういうところにものすごく敏感で、社会の正義がどこにあるかってことは子どもが一番よく分かってる。
トータル・エクスペリエンスにかかる点ですが、芸術工学の基本ですね。
車で非常に今問題視されているのは、僕はさっき「ただ乗り」って言いましたけれども、インフラを全く作らないで、インフラに対する投資ってものを一切しないで、ハードウェアだけ売ろうと思ってもなかなか売れない。ですから日産のリーフのリチウム用電池を車としての寿命が終わった後、固定用として家で使ったりと、そういうことも提案してる。それで初めてこの車が成り立つというのが日産はよく分かってらっしゃるので、そういう風な展開を始めている。モビリティっていう意味合いでも、全く同じでして、いろんなデバイスを作るにはスマートグリッドとかスマートシティっていうものがこれからごく当たり前に皆さんの生活の中に入ってきます。その中で果たして自分が何ができるのかというのが、またビジネスチャンスにつながると思うのですけれど。そのひとつの例として、私が参加し始めて2年くらいたつのですが、アラブ首長国連邦の70%の面積を持つアブダビという国がありまして、ドバイの隣ですね。ドバイもUAE(アラブ首長国連邦)のひとつですけれども、そのアブダビの街の郊外に9万人が住む街を今、人工的に作っていて、それがまあ2013年には完成すると言われています。これが何が特徴的かっていいますと、これはノーマン・フォスターが設計しているんですけれども、この絵と次の絵だけはノーマン・フォスターの絵なんですが、その後は僕の絵です。これが、いわゆる二酸化炭素を一切使わないで作られて、その後も二酸化炭素を一切使わないで運営される予定のいわゆる「スマートシティ」と呼ばれるプロジェクトの世界で最大規模のものである、と。これが中国とか韓国とかニューメキシコとかそういうところ、世界中のいろんなところでこういうのが起こっています。その中には、こういうアーケードであるとか、天井の太陽電池の仕組みであるとか、中のいろんな開閉する屋根だとか、そういったものっていうのがいろんな技術者が組み合わさって、非常に心地よい街を今、人工的に作っている。
環境を構築するというのは非常に魅力的ですよね。計画的にユーザービリティに満ちた世界を創造していくということは今後重要なってくるでしょう。
技術とか人っていうのはお金があるところと、実際に実験をして実用化したところに残るんですね。技術は、あるいはアイディアは、発明したところには残りません。技術は使った人のところに残ります、マーケットとして。だから日本人が作ったアイディアなんだって言っても誰も見てくれなくて、お金を出して採用してくれて、実際に使った人の技術になります。それが現実なんです。皆さんもよく分かってらっしゃると思う。金出して使った人勝ちなんです。作った人じゃないんです。
Product Designerとしては基本中の基本ですが、作品が作者を離れるのと同様に、技術もそれに等しい物があるということですね。
僕がもっと面白いと思うのは、高層ビルの横っ腹の駐車場で、下に来るとこれがエレベーターになり、自分の部屋のところまで上がって来て、そこがオーディオルームになって、喫煙室になる、と。
「あなた外でタバコ吸ってよ」って時とか、「音ガンガンでオーディオ聴きたいな」っていう時は、そういうところに入っていって、タバコを吸ったりオーディオを聴くわけです。「音を上げてゲームしたいな」っていう時はそういうところに入ってゲームをするわけです。で、これを買うと高いじゃないですか、500万とか。これがマンションの20年ローンの分割の一括でマンションと車が一緒に買えたらいいんじゃないかというビジネス提案をしましたら、非常に喜びまして、これが駐車場問題から何からエレベーターからそういったことを解決するひとつのきっかけになると思って提案しています。まあ、量産になるかどうかは分かりませんけれど。
こういったConcept Modelはいいですよね。スマートシティならまだしも、日本にこれをこのまま持ってくるのはまた別問題なので、そこはしっかり注意しておかなければなりませんね。
細かい部分について突っ込みたいところはありますが、建築デザイン云々は又の機会に意見を述べたいと思います。
今日はニーズとワンツの話をしました。僕らは価格競争じゃなくて価値競争にこれから入っていこう、産業の枠を壊して初めていろいろなことができる、技術というのは「食材」で商品というのは「料理」だ、と。技術を売り物にしたって新鮮な魚をただ売りものにしているようなもので、それを料理して初めて商売になる、と。いろんな狩猟型開発から、最初から農耕型開発をしましょう。「ものづくり」だけじゃなくて、「ことづくり」をしましょう。個人力と団体力の中で、もうちょっと団体力をつけよう、と。
日本社会のヒエラルキー的上下関係において、いかにして良好な関係を築くかという質問に対して
ええとですね、話しづらいって言っている方はまだいい方で、大抵皆さんもうなんやかんやメールで送りますよね。Twitterで送ったりとか。それが横行しているので今非常にいろんな関係はさらに悪化しているんですけれどね。なぜかっていうと、さっきも言ったみたいに日本語で目上の人に合わせていくのって非常に大変じゃないですか。ただそれははっきり言って目上の人が目下の人たちよりも価値を持っていた時代には、目上の人を敬う意味が仕事場であったわけですね。残念ながら今の業界で技術がこれだけ早く変わって、これだけビジネス自体の形がどんどん移り変わっている中で、正直目上の方がより高い価値を持っているケースって少ないんです。
ただこれ、もうひとつ理解していただきたいのが、僕さっきひとつのコミュニティって言いましたよね。自分の家庭とか学校とかよりも重要なコミュニティが、会社っていうコミュニティになってて、そこでみんなで一緒に暮らしてるんですよね。そういう意味を考えると、仕事の内容だけを考えるよりも、やっぱその目上の人を敬って、みんなで楽しく仲良く仕事をしていくっていうことで、要するにファミリーなんですよ。会社がファミリーだって言うとなんかゾゾゾってしますけれど、それは本当は自分が過ごしている時間が一番長いですよね。そういう意味で、ちゃんと必要な意見を言わなきゃいけない、ちゃんと意見交換しなきゃいけない、でも敬わなきゃいけない。難しいです、これは。
世界中でこれは今起こってますよ。めんどくさかったら英語で話せばいいんですけどね。英語で話せば一発で簡単なんです。言葉っていうのは、考える言葉。要するに言葉っていうのは考える道具なんですよね。日本語っていう道具を使って考えた時と、英語を使って考えた時と、イタリア語を使って考えた時と、山形弁を使って考えた時と、僕も思考回路が違いますよ。下手なドイツ語を使うとまた変わる。要は言葉の成り立ちで、実は表現だけじゃなくて自分の考え方も変わるっていう、ものすごく実は画期的なものが言語なんですよね。だからどこかの会社が標準言語を英語にしたっていうのはすごくよく分かりますし、ものが言いやすくなるんですよね。
だから、これはですね、自分で考えてください。
私も英語が便利だなと最近思っていまして・・・。そこまで英語が得意なわけではないのですが、毎日APだとかNYTだとかを読んでると慣れてきますね。話す方は洋楽が好きなので苦ではないのですけど(笑) 英語のほうがニュアンスとして表現しやすいこともありますね。
加えて言いますと、ジャーゴンも使いようで、全くの無知の方には非常にわかりにくく強圧的な態度だと思われてしまうことが多々ありますが、知ってる人同士であれば正確に簡単にコミュニケーションが取れてしまいます。相手と使用状況を考えた言葉遣いというのが鈎ですね。
以上です。稚拙な文ですが、最後まで読んでくださった方には感謝申し上げます。

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